第12話 外の世界を見たいんだ

悪い夢を見ていた気がする。ずっと何かに追われている夢だった。意識がゆっくりと戻ってきて、瞼の向こうにある明るい光を感じた。

「うぅ…………」

眩しかった。何かが光を遮って影が差し込む。額に乗った手の平は目を閉じていても分かるくらいに乾燥していて、小刻みに震えていた。「最近手が震えての」と言っていたある人の顔が思い浮んで、同時にその人の手に違いないと確信した。

ゆっくりと瞼を上げていく。

ベッド脇の小椅子に腰掛けていた町長の両眼が、私の姿を捕らえると見開かれた。

「おぉ……なまえ。よかった無事で」

安堵の吐息をもらし吐き出しながら両肩を落とした町長が愛おしそうに目を細める。馴染みの顔を見たせいかほっと息が出た。でもよくよく見てみると、そこには優しい笑顔には似つかわしくない無数の切り傷があって、頬をこそげとるようについたそれは酷く痛々しく、自然と眉が寄る。

その瞬間、すべてを思い出した。眠りにつく前にあったできごとが鮮明に蘇ってきて、ようやく、言葉が出た。タオルで汗を拭き取ってくれる町長の腕を掴んで言う。

「……痛い?」

町長は口を閉じたまま、左右に首を振っていた。でもそれは嘘だと思った。手を伸ばして町長の顔に触れようとすると、急に現れた白い手が私の手を掴んだ。吃驚したけれど、優しい声が聞こえたから怖くなかった。

「大丈夫?」

町長の隣には女の人がいた。顔も服も手も白いその人はまるで天使のように美しい。知らない人だった。

「……だれ?」

視線を隣に向けた。

「なまえの看護をしてくれた人だよ」

あぁどうりで優しいわけだ。納得した途端、不審に思っていた気持ちも溶けてなくなっていった。握られた柔らかな手を握り返す。

「……ありがとうございます」

左右に首を振りながら、その人は一歩前へ足を踏み出した。もう片方の手で私の髪を撫でながらもう大丈夫よと言ってくれた。

「……うん」

「お薬持ってきたの。飲めるかしら?」
「うん」
「いい子ね」

手に渡された飲み薬を喉に押し込んだ。甘く苦い味。顔をしかめると女の人も町長も小さく笑っていた。しばらく話をしているとふいに眠気に襲われた。瞼が落ちていく。こくりこくりと首を振っていると背中に手を置いたその人が「次目を覚ましたときはもっと良くなっているわ」と言った。

素直に目を閉じて眠った。

その人の言う通り、次に目を覚ましたときはもうすっかり体が回復していた。変わらず側についてくれている町長の傷もだいぶ良くなったようで、痛々しかった笑顔も普段通りに戻りつつあった。

朝、目が覚めたときにはもうそこにあった朝食。米を柔らかく煮たそれはとても暖かくて美味しかった。あっという間に完食。その後少し休憩して、町長に連れられて部屋を出た。

扉を開けた先にあるのは水平線だった。海辺にある小さな小屋、それが私と町長がいたところだった。そして、そのすぐ脇にある桟橋につけられていたのは特大の船。

「でっか!」

ざっぶ~~ん、と波が打ちつけて揺れている。その様は圧巻で、大口を開けたまま見上げて、その巨体に見とれた。

「なまえ、行くぞ」
「え、もしかしてあれに乗るの?」
「そうじゃが?」

正直、わくわくした。こんなに大きな船を間近で見たのは初めてだったし、それに加えてその船に乗るなんて。だって、これはまるであの ” しろひげ ” という、海賊の船のようで……、一際大きな風が吹き付けた。パタパタパタ――旗が靡く音が大きく響く。顔を上げた。

あ、…………そっか。まるで、じゃなくて、これがその船なんだ。”大きな三日月型の髭がついたドクロ”を見てようやく、今自分が誰のお世話になっているのか、それを知った。

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船のすぐ脇についたら、町長が合図を送る。「少しの間そこで待っててくれ~!」と船の上から返事があって、ちゃくちゃくと進んでいく乗船の準備を待った。その様子を横目に見ながら口を開く。

「町長、この船もしかして……」
「なまえもよく知っておる船じゃ」
「しろ、ひげ?」
「そうじゃよ。町の守り人じゃ」

守り人――海賊が? 町長は大きく首を逸らして上を見た。目を細め、悠然と靡く旗を見つめた。船のすぐ近くで見た旗は思っていたよりもずいぶん大きなもので、いつも遠くから眺めているだけだった船も想像以上の大きさで、私には何もかもが大きくて、なんだかむずむずした。

視線を感じて隣を見たら、町長が何やら訝しげな顔で私を見ていて、首を捻った。

「なまえ。お前は外へ出たいんじゃないか?」

え……?

あまりに突然過ぎて続く言葉が出てこなかった。その一言はついさっきから、私の中に沸き上がりつつあったある一点を見事に貫いた。あまりにはっきりとし過ぎているその一言は迷うことなく、瞬間的に、自分の気持ちが何であるかを理解させた。

「わ、たし……」

さっき、船や旗を見て、この島の外には私の知らないことがたくさんあるって思ったら、見たいって。この目でその知らないことを見てみたいって、そう思ったんだ。

でもそれは贅沢だ。

拳を握りしめて、町長に背中を向けた。

「……なまえ?」

「ちがう。違うよ。外へなんか……」

声が震えた。

「いいんじゃよ。それは悪いことじゃない」
「……悪いことだよ」

この町の人は優しいから、きっと誰でも受け入れてくれる。そしたら、今までと変わらない幸せな生活を送ることができる。不満なはずがない。不満であるわけがない。こんなに幸せなことはないのに。でもなんか。……しっくりこないのはどうして。こんな贅沢な欲、持っていいわけがないのに。

いつの間にか側に来ていた町長が私の手を握って言った。

「自分に嘘をつくことは悪いことじゃよ」
「っ、」

あぁ、町長にはもうお見通しなんだ。私はなんて……なんて幸せ者なんだろう。手をぎゅっと握り返しながら顔を上げて町長を見た。

「……外へ、出たい。危ないかもしれないけど、外の世界を見たいんだ」
「……なまえ。お前は小さい頃から遠くを見ていた子だったからね。だからわしはの、こんな小さな島で一生を終えるなんてもったいないと思っておったんじゃよ」
「……うん」

水平線を見つめるのが好きだった。あの向こうには何があるんだろうって考えるのが好きだった。気がつけばそれは日課になっていて、それはもう私の一部になっていた。

町長が私の頬を両手で包み込んだ。そして、真っ直ぐに私の両眼を見つめながら言った。

「外へ出る覚悟はあるか?」

私は首を縦に振った。

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船に乗り込んだ後、迷路のような船内を案内役の船員について歩いた。

「この部屋に」

そう言われた瞬間、隣からごくりと唾を飲み込んだ音がした。隣を盗み見ると今まで見たことがないくらい緊張した面もちの町長が真っ直ぐ扉の方を見ていた。

「町長?」
「ん、……あぁ。行こうか」

伸ばされた手を握り返すと小さく笑った町長が扉を開いた。キィィィ――と古い蝶番が悲鳴を上げた。

ドンッと音がしたと思ったぐらい、部屋の真ん中に急に巨体が現れた。……正確には最初からずっとそこに座っていたんだろうけど、あまりの大きさにその影が人だとは気づかなくて、それを認識した瞬間に、衝撃が体を突き抜けたのだ。

とっさに手を握りしめた。

「大丈夫じゃよ」

そう言う町長も少し、体がこわばっているように見えた。それでもしっかりと胸を張っているのを見習って、意識をしっかりと持つように心がけた。大きな椅子に腰掛けている巨体の男の周囲には、普通の人の大きさの男が数人立っていた。どの人もいわゆる海賊という出で立ちで、少し前に海賊に追いかけられていたこともあって、じんわりと涙が浮かびそうになった。キツく唇を噛みしめて耐えた。

グララララララッ――――

な、何事!? 地面が……いや、船体が大きく揺れた。余韻とは言えないレベルの波が私と町長を襲った。慌ててその場に伏せると町長がぽんと背中を一度触った。顔を上げると、町長が笑っていた。

「はっはっはっ、怖かったんかの?」

笑い声が部屋に響いた。周りを見たら、他の人も笑っていた。

「親父、怖がってるぜェ」
「バカ息子どもが睨みつけるからだろうが、アホんだらがぁ」

一気に和んでしまったその場の空気にぱちくりと目を瞬かせた。手を引っ張り上げられて立ち上がる。「大丈夫じゃよ」とにっこりと微笑む町長にただただ頷き返すことしかできなかった。吃驚した。またひとつ、「グララララ」と、先ほどよりも小さな声がして、ようやくそれはこの大きな体の人の笑い声だったということを知ったのだった。

「今回は村を救って下さりありがとうございました」
「あぁ、その話はもういい」

そんなことはして当然、と澄ました顔。それでも感謝の気持ちを込めて一度頭を下げた町長にその人はこくりと頷いて返した。

「それで、話の本題ですが」

え、お礼を言いに来たわけではなかったの?

「この子を連れて行って下さい」

……え?

シン、と静まり返った室内。スゥ――と息を吸い込む音が聞こえた。

グララララッ――――

それは笑い声のはずなのに、酷く重く圧迫感のあるものだった。町長の目は真っ直ぐに椅子に座るその人を見上げていた。ブレることはなく、船が揺れてもずっと。同じようにその人も町長のことをジッと見つめていた。

「……あぁ、いいだろう」

すとん、と落ちた了解したという言葉に誰もが口を開いた。親父! と口々に声が上がる。私だって言いたいことがあった。確かに外へ出たいとは言ったし、覚悟もちゃんとある。だけど、……まさか海賊にお願いするなんて。そんなの聞いていない。

部屋の中は騒然としていた。

「うるさいバカ息子どもがァ!」

一喝して、膝を一回叩いただけなのにその威圧感はすさまじく、屈強な男たちを黙らせるのはその一度だけで充分だった。

「けど親父ッ! こいつはどこからどう見ても子供だろぅよい!!?」
「あァ、俺ァ別にこいつが大人だとは思ってねェさ」
「子供を引き取るってことは……」
「あァ、それぐれェ言われなくても分かってるさァ。……マルコォ、てめェは心配し過ぎだァ」
「っ、しかし、親父!」

「…………てめぇの眼ん玉ひん剥いてこいつの目ェ見てみろ」

親父と言われる巨体の持ち主と、紫のシャツの男の人が言い合っていた。マルコと呼ばれた人は声を荒げながら親父の意見を変えようと必死で説得しているように見えた。周りの人たちもマルコに賛成しているらしい。顔をうつむけながらもときどき頷いてマルコの意見に賛成している素振りを見せていた。

……そりゃそうだろう。普通はそっちの意見の方が正しい。見ず知らずの子供、それも女を引き取るっていうんだから。そもそも海賊に頼むことからしてどうかしている。それは町長が言い出したときから思っていたことだったから、一体どういうつもりなのか、と口を閉ざしている町長をひたすら見つめて抗議をしたが、それを口に出すことはしなかった。

少なくとも、私の中の町長は信用に足る人物で、その町長が先ほど私の意志を確認した上で行っている行動なのだ。それを思うと、信頼しているからこそ、黙っているべきだと思った。

町長から視線を外して、言い合っている二人の様子を静かに見守った。これから先の私の未来はこの二人がどうするかによって変わってくるのだ。

言い合いが止んだ。マルコが私の方に顔を向けた。眉間に皺を寄せながら、片時も目を逸らさずに、瞬きすらすることなく、彼は私の目の前まで歩いてきた。正直、その様は異質で、とても怖かった。でもなんとなく、逸らしてはいけない気がしたから、真っ直ぐに彼の目を見つめたまま、歯を食いしばって、その言い知れる恐怖に耐えた。

その顔が前に立って、しゃがみ込んだときだ。ふと、気が付いた。

「あ」

口をついで出た一言に、ますます皺を寄せたその人。特徴的な髪型は強く記憶に残っていた。あのとき、私と町長を助けてくれた人だ。それを理解した途端、今までこの人がしていた行動のすべてに辻褄が合って、ほっとした。この人はただ、仲間のことを考えて、真剣に私のことを見定めようとしているだけだと、とてもまっすぐな良い人なんだと分かったのだ。

握り締めていた町長の手を離して、自分の足でその場にしっかりと立ち、手を前に重ねて深く深く頭を下げた。そして、心の底から感謝の気持ちを表しながら言う。

「あのときは助けて下さってありがとうございました!」

返事はなかった。何か変なことをしてしまったのだろうか、と恐る恐る顔を上げるとマルコは真ん丸に見開いた目で私を見ていた。

「…………よい」

気まずくなって顔を俯けると、ぽんと頭の上に手が乗って優しく撫でられる。

「俺のこと。覚えていたのかい?」
「……はい。髪がバナナみたいで」

ピタリと止まった頭上の手。ピシリ、と空気に割れ目が出来たように一気に様子が変わった。これはさすがに分かる。今私まずいこと言ったかも……眉を寄せた。

でも。

「ブッハハハハハ!」

途端に周りの男たちが笑い出した。

「マルコォ~お前の頭はバナナだってよォオ――!」

腹をかかえてケラケラと笑っている人が言う。リーゼントの出で立ちだった。もしからしたらこの人もあの時に助けてくれた人なのかも、と記憶を遡りつつ、それにしてもほんとここぞとばかりに笑うものだから、周りの人たちもつられてどんどん笑いの波が広がっていく。隣にいる黒髪で長髪の髪を束ねた人や筋肉がムキムキの真面目そうだった人もクスクスと笑っていた含みを笑いを堪えきれずにハハハッと声を上げてしまう程だった。

「てめェらッ! 後で覚悟しとけよい!」

「あ、やべツ」腹を抱えていたリーゼントの男はピシッとやり過ぎなぐらい真っ直ぐに姿勢を正した。でもその口元は相変わらず笑いを含んでいて、我慢しているようではあったけれど、小さく震えていた。それは離れたところから見ても明らかだった。怒鳴り散らしたマルコは堪らず立ち上がってその人の方に向き直る。怒りからか、背中が震えていた。失礼とは思いつつも、なんだか楽しくて私も少し笑ってしまった。

ふと、リーゼントの男と目が合う。

「なんだちゃんと笑えるじゃねぇか」

それを聞いた他の人の視線が一気にこちらに向いた。背中を向けていたマルコもこちらに顔を向けて、視線が絡み合うと「……良かったよい」と小さな声で言った。マルコの笑顔はくしゃりとした柔らかなもので、細くなった瞳と歯を見せるように笑ってくれた表情に酷く安心させられた。

その素敵な笑顔につられて笑みが零れる。一瞬、時が止まったように静まり返った部屋の中、誰もがほっと息を吐き出した瞬間だった。少しだけ驚いた表情を見せたマルコは瞬きを二つ、頭にぽんと手を置いて、またにこりと笑ってくれた。

グララララ――――

大きく船が揺れて巨体に視線が映る。

「大した奴だァ。この船の一員に相応しいじゃねェか」

もう誰も何も言わなかった。

「そうと決まれば出航の準備だよい。取り掛かれぃ!」

一瞬どこかへ飛んでいた船員たちはマルコの怒鳴り声で我に返ってきて、途端に辺り一体がバタバタと騒がしくなったのだった。

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