第34話 ベン・ベックマン

「おいおい、そんなに引っ付いてくれるな」
「ごめん。でももうフラフラで……」

シャンクスさんは本当に容赦がなかったから体は疲れ切っていたし、加えて目まぐるしく展開が変わるから頭の方も限界に近かった。……疲れた。本当に、……疲れた。

「……分かった。じゃあ、もう一つ奥の部屋に移動してそこで少し休めばいい」
「え~もうここで……」
「いや、……ここに居たら聞かなくていいことまで聞こえるからやめておいた方がいい」

……まぁ確かに。薄い板一枚挟んだ向こう側では、シャンクスさんとミホークさんが何かを怒鳴り合っている。今は何を言っているのか耳に入ってこないが、時間が経って落ち着いたらそうはいかないだろう。それにしても……あのミホークさんが声を上げるのは大変珍しい。今までもないことはなかった。特にシャンクスさんが関わると熱くなりやすい。

「いいでしょう。聞いてやりますよ。その上で後でぜんぶ「いや、頼むからそれはやめてくれ。俺がお頭に睨まれる」……え~~」

ベンさんは忠実な部下なので、シャンクスさんのこととなると結構強引に押し通ってくる。…………ベンさんは悪くないので迷惑をかけるわけにはいかない。渋々頷いた。

「……分かりました、けど、ちょっと休憩させて欲しいです。足が限界で」

寄り掛かるところ……を探した結果、目の前に立っていたベンさんの背中にくっついた。

「……おい。その状態で俺が前に歩いたらお前が倒れるだろうが」
「…………そうですね」
「…………わざとか?」
「……かも?」
「なんだ……珍しいな。彼奴以外に甘えるなんて」

フッ――と息を漏らしたベンさんが「仕方ねぇなぁ」と振り向いて私の体を抱え上げてくれた。ベンさんは何だかんだ言いつつも「疲れた~」と甘えたげに言うといつもお姫様抱っこをして運んでくれる――私の救世主だ。すりぃと胸板に頬を寄せて煙草の香りを嗜たしなむ。

「……犬か、お前は」
「この香り……好きなんですよ。同じ銘柄を吸っている人の横を通ったときはいつもベンのことを思い浮かべるくらいですから」

足を止めたベンさんが、きょとんと目を真ん丸にして私を見下ろしていた。

「なぁに、その顔……面白いっ」
「っ、大人をからかうな」
「いや、待って失礼でしょう! 私も大人ですって!」

スン――と表情を元に戻してしまったベンさんが、へぇへぇと軽くあしらってきたのでむくれてやった。けれどベンさんはそんなことには慣れっこなので相手にもしてくれなかった。……くそう。

「大人になったからって中途半端な敬語なんか使いやがって。俺に気ぃなんか遣わなくていいって言ってるだろ」
「それとこれとは別です。これでも、一応皆さんのことを尊敬しているんですぅ。だから敬語なんですぅ」
「はっ……下手くそな敬語使われるくらいなら、怒鳴り散らされた方がましだ」
「なにそれ、意味が分からないんですが」
「あぁそうかよ。……忘れてくれ」

これ以上言ったところで、私が譲る気がないと分かったのか、ベンさんがお手上げだと軽く両手を上げて見せた。にんまりと笑いながら「はい」と嬉々として答えた。

島に住んでいた時にシャンクスさん達と話すときはフランクにフレンドリーに、無邪気に話をしていた。……が、島を離れてから知ってしまいました……彼らの凄さ。ただの酒飲み親父の集まりではなかった。それを知ってからはとてもじゃないけれど今までのように気軽に話す気にはなれなかった。だって彼らはこの海の上に立つ、四皇のひとつに入るシャンクスさんの一味なのだ。まぁそれに、ミホークさんには敬語なのに、他の人は敬語じゃないというのもおかしな話なのでこのままがいいかなと思っている。ミホークさんは別に好きにすればいい、というスタンスらしく。特に何も言ってこない。一度、敬語って嫌? と聞いてみたが、「別に」としか返って来なかった。この分だと、明日あたりに生意気な口調に変えたとしても「別に」という答えが返ってきそうである。そういうところはすごく適当な人だった。

考え事をしている間に隣の部屋に着いた。そこは客室だった。簡素な部屋にあった二人がけの椅子に座らせてもらって「ありがとう」とお礼を言う。にっこりと、他の人が見たら飛び上がって驚くような甘い笑みが返ってきて少しだけ照れる。その次に彼の顔に浮かんだのは悪戯っ子の男の子の笑顔だった。ちょんっと人差し指で鼻を押し込められてふふふっと笑う。正面の椅子に腰掛けたベンさんも楽しげに口元を緩ませていた。

胸ポケットから新しい煙草を取り出して火を付ける。その動作をぼんやりと眺めていた。人差し指と中指の間に挟まれた煙草がベンさんの唇の間に納まって吸われていく。……そういや、シャンクスさんもミホークさんも煙草は吸わないな。吸って欲しいとは思わないけれど、咥えているところを想像して似合う……? んだろうか、と想像した。

「……俺に言いたいことが、あるんだろ?」

ベンさんが一息にふぅ~~と長い煙を吐き出した後にぽつりと言った。

「お~さすがです」
「何年付き合っていると思う? ……そのくらいは分かる」
「……私、そんなに分かりやすいですか?」
「…………ノーコメントで」
「…………ずるい」
「なんとでも。……で、何の話だ」

さっさとゲロっちまえ――そんな風に見下ろしながら眼光鋭く吐き捨てる様は控えめにいっても最高である。…………シャンクスさんの船に乗っている人ってなんかみんな達観してるというか、なんというか……総じて格好が良いんだよね。なんかいっつも調子を狂わされている気がする。……特にベンさん。

「私ね、悪魔の実を食べたらしいんですけど……あ、その話はもう聞いて……る?」
「あぁ、聞いた」
「どこまでですか?」
「一通りはな」
「…………ちなみに誰から?」
「お頭を通して、鷹の目から」
「…………やっぱり。っていうか何なんですか、あの2人。すっごく仲いいじゃないですか!!」
「……誰も悪いとは言ってねぇだろ?」

それは……まぁそうなんだけど。顔を合わす度にやいやい言っているから、そういうイメージがついてしまっているのだ。

「贔屓目なしにして仲はいいだろ。もともと馬が合うから殺り合っていたんだからな」
「なにそれ意味不明……」

馬が合うから殺り合うって……どうやったらそんなことになるのか。……いや待て、今それを言い出したら話が逸れてしまう。

「…………はぁ。はい、分かりました。喧嘩するほど仲が良いって言いますものね」
「あぁ、まさにそれだな」

軽過ぎる適当な返しだった気がしてならないけど今はそれでいいや。話を進める。

「私が食べた悪魔の実の力は人の感覚を狂わせるんだそうです。……今はなんとか、『使っているか、使っていないか』くらいの判断は付くようになったと思うんですけど。過去のことはもうどうしようもなく。……そもそも、一体どうやって周りに力を使ったのか、その方法が分かりません」
「なまえが分からないのなら俺たちに分かる訳がないだろう」

はぁ……もっとも過ぎる意見。私だってそう思う……が、だからって立ち止まっているわけにもいかない。探り続けるしかないのだ。

「……まぁ俺は能力者じゃないからそこら辺の悩みは分からねぇが……それででも、実の名前が分かったこと、大ざっぱだが、能力も分かったことは幸運だったと思う」
「それは……その通りだと思います」
「解決策になるかは分からねぇが……力の方向が見えているんだから、単純に試していけばいいじゃないか?」
「…………試す?」
「考えるよりも、やってみた方が早いだろう? 適当な誰かに協力してもらって能力が効いているか、様子を見るだけでもいいんじゃねぇか。それくらいなら出来るだろ。幸か不幸か、なまえの力は人を傷つけるようなものではないからな」
「…………う、ん」

実際のところ、自分の能力が他人にどの程度影響を与えているかはよく分からない。直接人を傷つけてしまう力ではないので、その点はベンさんの言う通りなのだが……、スモーカー大佐の件もある。彼は、翌日になってもまだ気怠げにしていた。そういった事例もあったので一概には言えないのではないか、と私は思っている。恐らくこの事実を知っているのは私だけだろう。だからと言って怖気づいていつまでもうじうじしているわけにいかない。……ベンさんの言うとおりだ。考えるよりもやってみた方が断然早そうだった。

「……なまえ?」

「……うん。そうだよね。よし! じゃあ早速試してみよう!」
「おぉ、その意気だ!」

よし、じゃあ……と立ち上がるベンさんの腕を掴む。え……? と首を傾げていらっしゃるけど、試すんだからここに居てもらわないと困るという話だ。

「もちろん協力してくれるんですよね……?」
「……は?」

俺が――? と、どうやら端から自分はカウントしていなかったらしく、ベンさんは酷く狼狽えていた。なんでそんなことになったのか、彼の頭の中を覗いてみたいものだ。

「当然でしょう? これ程の適任者は他にいないと思いますけど」
「いや、待て……勘弁してくれ。彼奴に頼めばいいだろ……それかお頭に言えばいい。あの二人なら喜んで協力するってもんだ」
「…………あの2人は絶対調子に乗るから駄目」

「…………ちっ」と舌打ちが鳴った。ベンさんの舌打ち聞いたのはじめてかもしれない。どうやら続く言葉を飲み込んだらしい。恐らくだけど、確かにその通りだと思ったに違いない。…………さっきのことがあったから余計にそうなると考えてしまうだろう。……いやもう100%そうだと思うもの。あの二人はそういうイベント的なことするの大好きだから。

「はぁ……分かった、分かったよ。俺の負けだ。協力する」
「やった! 流石はベン!」

素敵~! と持ち上げるだけ持ち上げておく。ベンさんも満更でもないらしく、「やめろ恥ずかしいから」とちょっぴり顔が赤い。…………可愛い。

「ちっ、…………いいから、早く始めるぞ」

ちゃんと座るように促されて、ベンさんと向かい合って座る。

「で、ここからはどうするんだ」
「……そうですね。試すにしても、何かきっかけが……あ、質問いいですか?」
「あぁ」
「んっと~、ベンは今まで私と一緒に居て、なんか、こう……不思議に感じたことや違和感を覚えたことはありました? どんなに些細なことでもいいんですけど」
「不思議に感じたこと……違和感……」

ベンさんは顎に手を当てて黙り込んだ。記憶を呼び覚ましているところなのだろう。少しだけ待った後に「いや、ないな……」と期待外れの返事が返ってきた。

「そうですか……これはミホークさんの場合なんですが、なんとなく違和感はあったそうです。何かがあると感じた……と」
「何かがある……か」

――ふと、ベンさんが前屈みになって机の上に腕を組んだ。そのまま顔を寄せてきて、間近で見つめ合う。何か意味があるのだろうか……? そう思いながら、彼の顔をじっと見つめた。ベンさんも私の方を見てはいたけれど、何かを考えているようだった。このままただ待つだけなら何か考え事でもしていた方が建設的だろう、さっそく頭を切り替える。能力については、はっきりと理解したのが海軍に本部にいたときだった。あの時は恐らく……声、がきっかけになったんだと思う。スモーカー大佐は特に耳を痛めていたらしいから、間違ってはいないと思う。……声、か。でも、あんなに叫んだのは後にも先にもあの時ぐらいで、正直、参考にはならない気がする。声以外のところで何かないだろうか。

「…………あのう、ベン?」

あまりに長い間、見つめ合う形になっていたので、さすがに気まずくなってきた。一旦、距離を取りませんかね、と言おうとしたとき、ベンさんに腕を掴まれた。

「考えてみたんだが、俺も例外かもしれない」
「…………例外、とは?」
「すでに俺にも能力がかかっているような、気がする」
「え”……?」
「なまえ、お前の力はどこまでを範囲としている?」
「……範囲とは?」
「例えば、相手に好意を植え付けるとする。その好意は、『多少の悪意は目を潰れるくらいの好感度が高い状態』なのか、それとも『恋人に寄せるくらいの好き』なのか。もっといけば『愛さずにはいられなくなる状態』なのか。色々あるだろう」

お……おぅ。そうやって実際に口に出されてみたら、やっぱり私の力って、一方向にぶっちぎってやばいもののように思えてきた。だって下手すれば、私のことが大嫌いな人でも、力を使えば『愛してる』って言わせてしまえるってことだよね。……うわぁ。……分かってはいたけれど、我ながら下劣な能力。

「……それがですね、分からないんです」

「……俺の気持ちを素直に言うぞ」
「え? あ、はい」
「言うけど、引くなよ」
「…………?」

「お前のことが可愛いくて仕方がないし、実際、時々ムラッとして手を出しかけたことがある」

ひゅっ――と息が止まった。

「まぁ俺は……自分で言うのもおかしい話だが、かなり辛抱強い方だから滅多なことで何かになることはないが……普通なら……おい、なまえ? 聞いているか……?」
「あ…………はい」
「引くなって言っただろ?」
「あ、ごめん……引いたんじゃなくて、ちょっと衝撃だったもので」
「……そうか? 結構あからさまに態度に出していたつもりだったが……」
「えっ!?」

スキンシップが多いのも、甘い笑顔を見せてくれるのも。シャンクスさんとベンさんと、私が近いところにいるから。信頼されているから、と思い込んでいた。まさか……それが根本から違っていたなんて。…………どうしよう、ちょっと辛い。

「俺はお前にぞっこんだ。それはお頭も気付いているし、鷹の目も承知の上だ」
「…………へ?」

それでも近くに居るのは、その辺の抵抗力は、俺が一番持っているからだ。

「……そうなの?」
「彼奴らは、ちょろいだろう……?」
「――っ、ハハッ!! アハハハッ!!!」

ベンさんの言い方のせいもあるけれど、『ちょろい』の一言に関しては確かにその通りというか、もうその言葉が一番当てはまるのかもしれないと思ってしまった。その通りだ。あ――おかしい。大声で笑ってしまった。

「楽しんでいるところ悪いが、話を戻すぞ」
「あ~~はいはい!」
「顔をここに置いたまま、じっとしていてくれ」
「…………じっと?」

なんだか胡散臭い。じと――っとした目でベンを見返す。

「大丈夫だ。何もしねぇよ…………たぶん」
「ちょ、たぶんって!」
「いいから、ちょっとでいい。黙ってそこで待っていてくれ」

 

:

 

― ベックマン視点 ―

:

 

自分で提案しておきながら言うことじゃないが、こいつ……素直に人の話を聞きすぎだろう。多少は渋っていたものの、言われるがまま机に肘を付いて顔をそこに乗せて、じーっと待っているなまえが目の前にいる。俺のことを信頼してくれているんだとは思うが。…………これじゃあ鷹の目が過保護になるのにも頷ける。目を離しては駄目だと思いたくもなるだろう。それでも彼奴はなまえのことを出来るだけ自由にしてやろうとしているのだから、その点は尊敬に値する。彼奴は、なまえのことをとても大切にしている。

なまえの能力の話を聞いてから自分なりに思い返した記憶の中では、はっきりとした原因は分からなかった。何か大きなきっかけでもあれば分かりやすくていいんだが、残念ながら俺となまえはずっと平和な関係を続けていた。だから、一体どうしてこんな感情が芽生えているのかが分からない。単に一緒に過ごしたから……? それとも何か……、なまえが俺たちに向けて何かをしている……のか。……それを無意識に。……確かに、会う度になまえに引き寄せられていっているような、漠然とした感覚があることに、話を聞いてからは気が付いた。

――一体どうやって。

まずは一番考えられそうなことを検証してみようかと思う。

「よし、じゃあ……」

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