G5支部では、あの荒くれ者たちが書類に手を伸ばし始めたらしい。かく言うスモーカー中将も、椅子に座る時間が増えたそうだ。スモーカー中将が教えてくれた。
「てめぇがやる分、俺たちがやる分。そういうのが明確になったからな。たしぎが尻叩いてやらせてる」
「ふふふ……スモーカー中将も、叩かれているってことですねぇ?」
「まぁ……そうなるな」
その日の夜、いつもの大衆居酒屋に足を運んで、スモーカー中将と夜ご飯を食べていた。
「やっぱりこっちの飯は旨ぇなァ!」
「え、そうですか? G5のおばちゃんが作るカレーは本部のカレーの何倍も美味しいですよ?」
「あ゛? あぁ、確かに。カレーはあっちのが旨ぇな」
「…………?」
すっ、と表情を真顔に戻したスモーカー中将に瞬く。追加のオーダーを入れて、両手を組み、前屈みになって、彼は言う。
「こっちはどうだ」
「え……? あー、うん。思っていたよりも楽しいです」
「困ってねぇか」
「それ、昼間も聞いていましたよね」樽ジョッキを口にしながら笑う。……が、彼の目は笑っていない。
「…………もう飲むな」
「え~、」
「記憶飛ばすだろ」
「今日はスモーカーさんいるし、いいじゃないですか」
「ハァ――、よくねぇよ」
「なんでです?」
「前の記憶は?」
「え、前……っていうと、えぇと……ここに配属される話を聞いた日、ですか?」
「そうだ」
「ありません……けど?」
「キスした」
「…………はい?」
何言ってんの、この人。
「えぇと、すみません。誰と誰が、ですか?」
「俺と、てめぇが、」
「…………はいっ!?」
あまりのことに、また勢いよく立ち上がりそうになって、その前に、スモーカーさんの手の平が肩を押さえ込んだ。「……落ち着け」静かな一言に、頷く。大きく深呼吸をひとつ。
「本気で言ってます?」
「冗談じゃねぇよ」
咥え直した葉巻がゆらり揺れた。スモーカーさんの口から大量の煙が吐き出される。煙の元をゆっくりと辿っていって、彼の唇をまじまじと見つめた。
「…………まじ?」
「そうだ。だから、もう飲むな」
「それってまさか私の方から、しちゃっていたり……?」
「あぁ゛?」
――と、スモーカーの頭にひとつ、雑念が浮かんだ。少しだけ、意地悪をしてみたいと思ったのだ。
「…………そうだよ。俺のことが好きだのなんだの言って――おい?」
ぼふんッ――顔面を真っ赤に染めたなまえが「私のファーストキスぅ!!」と叫んだ。
「待て待て待て! 被害者は俺の方で……」
いや、違う。本当は俺の方からしたから……チッ、ややこしいことになった。
うぐぐぐ……拳を握り締めたなまえが机を叩いている。……そんなに嫌なことなのか? 流石に傷つくぞ……。
「っ、で、では! 責任を取ります!」
「……は?」
「スモーカーさんが躱さなかったということは、少なくとも嫌じゃなかったってことですよね? そんなことがあったのに、翌日の私はあんな……スモーカーさんはいつだって良くしてくれたのに……わたし、最低っ!」
「お……おぅ……?」
「だから、ちゃんと責任取ります! スモーカーさん! 私と付き合いましょう!!」
「…………はぁあああああ?????」
その時は気付かなかった。あの後、なまえを寮に送って、夜道を歩きながら月を見上げたときになってようやく気付いた。
飲ませてしまえば良かった。そうしてしまえば、なまえは今日のことをすべて忘れてしまうはずなのに。どうして俺は気付かなかったのか。
「クソッ……」
仰ぎ見る顔面を手の平で覆う。脳裏に過るのは「不束者ですがよろしくお願いします」はにかむなまえの顔だった。
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翌朝、必要な業務を終えてなまえの元に向かう。昼過ぎには本部を発つことになっていた。付き合うっつても、この距離だ……。すぐに薄れていくだろう。が、昨日の今日、発つ前に一言声をかけておくとするか。
なまえの机は、左寄りの前から5番目、だったな。エントランスを抜けて歩いて行く。曲がりなりにも恋人になったからにはちゃんとしたいと思って、菓子の差し入れも準備した。こんなもので機嫌が取れるとは思わねぇが……、ないよりはましだろう。
「…………あ゛?」
アハハハ――聞き慣れた笑い声がごった返した部屋の中でもよく聞き取れた。目を凝らした先にあったのは予想外の光景。なまえが笑っていて、その隣にはモモンガが立っていた。……モモンガ、あの……、なまえを泣かせて苦しめた、あの野郎が。
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ことん、と音がして視線を上げる。難解な書類に目を通していたところだったので、酷い顰めっ面をしていたのだろう。顔を上げた先にいたモモンガ中将が、自身の額をとんとんとして、笑った。それは私がよくモモンガ中将にやっていた仕草だった。
「皺ができるぞ」
「ふ、ふふ。お気遣いありがとうございます。難しい内容だったので、つい」
「……何の書類だ?」
「あ……いえ、普通の遠征の書類ですよ? ただ、電伝虫で受けた報告が支離滅裂で、解読に時間がかかりそうでして……」
「どれ?」手を伸ばしてきた中将に、そのまま渡す。規定の書類に書かれた文字は私のものであるけれど、文面は言われたことをそのまま書き込んだものだ。……どう考えてもこのまま提出することはできない。
「これは…………酷いな」
「はぁ……本当に。本部の教育の際には、書面の書き方についても教育すべきだと思います。新人の頃にやっておけばもう少しはましだったんじゃないかと」
「…………本当にそう思うのか?」
「…………いえ、」
あの人達なら、それらすべての過程をすっ飛ばしそうだ。冗談抜きで。
「海軍は実力思考であるからな……」
「はぁ……」
「元帥もいつも頭を悩ませている」
海軍のトップは気苦労が多くて大変だろうな……。
「それはそうと、私に用ですか?」
「あぁ、そうだった。スモーカー中将が来ているが、会えたか?」
「へっ? あ、はい。昨日来られまして、お会いしましたよ」
「そうか」と言いながら、中将が顔を上げる。私の後ろを見ているようだ。書類の内便が回ってきたのかな、首を捻りながら振り向く。ドンッ――目の前に現れた腹筋に驚いて危うく椅子から落ちかけた。お尻がつるりん滑って頭からごつん、いく前に、腕を掴まれる。
「ったく。腑抜けになりやがって」
「あ……あースモーカー中将。すみません」
「ちょうど君の話をしていた、スモーカー中将。今日、本部を発つそうだな」
「あぁ、そうだ。その前になまえに会いに来た」
「えっ、そうだったんですか! それなら先に言っておいてくださいよ! たしぎにお土産買ったのにぃ!」
「……遊びじゃねぇんだぞ」
「いいじゃないですか、少しくらい」
「次からは先に予定を伝えておく」そう言ってくれたスモーカー中将ににっこり返した笑顔も、「ありがとうございます」という言葉も今までと、少し色が違っている。
「……これ」
差し出された紙袋。有名なお菓子屋さんの袋だ。
「え、これ……私に、ですか?」
「あぁ。昨日の詫びに」
「そんな! 私の方が迷惑をかけたのに……」
「……これから長い付き合いになるだろう? その前払いだと思っておいてくれ」
「長い……付き……っ、」
公の場でその話題に触れられるとは思っていなかった。ぐっと腰を折って、顔を近づけたスモーカー中将が耳元で言う。
「心配するな。前払いは払っても払ってもなくなることはねぇから。お前は受け取るだけでいい」
「…………へ?」
ちゅ、と音がした。

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