知らねぇからな

「大佐……」
「なんだよ」

書類に目を通していると、何の前触れもなく名前を呼ばれた。いや、そこにそいつがいるのは知っている。だけど、俺が仕事をしている最中に声をかけるような奴じゃない。だから不思議に思って、書類から目を離し、顔を上げた。

「ア?」

気配はするが視界に映らない。おかしいと思い、重い腰を上げて立ち上がると、視界の下の方に影が映った。

「何してんだ?」

遠慮なくドタドタとその影に近づく。床に寝転がっていたその影はなまえだった。膝を曲げて、腰を曲げて、机とソファの間にすっぽりと収まっている。その横顔は満足そうに笑っていた。寝てんのか?しゃがみこんで頬をつついてみるが、反応がない。これは完全に寝ているな。チッと舌打ちをひとつ。折れ曲がった体の下に手を入れて抱えあげた。せめてソファで寝ろよ。ぶつぶつと文句を言いながら、なまえをソファに移動させ、傍にあった自分の上着を重ねた。

少し乱れた前髪が瞼の上にかかるのが邪魔なのか、不機嫌そうに眉を寄せるなまえ。なんとなく手を伸ばし、前髪を避けてやる。そうすると満足そうに微笑んだなまえがまたすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てだした。

ふぅ――と息を吐き出す。ちらりちらりと視界の端に映るなまえの姿を気にしながら、席に戻り何事もなかったように書類仕事を再開した。

:

6時間が経ち、時刻はもう深夜0時――

ボーンボーンボーン

「しまった……」

時計の12回目の音ではたと気がついた。こいつを起こすことをすっかり忘れていた。さすがに夜遅いからな……起こして、家に帰すか。ソファでスヤスヤと眠るなまえの肩を揺さぶる。

「う~~ん……」

寝返りを打たれた。

「チッ」

額に思い切り皺を寄せて見下ろす。全く起きる気配がねぇ。

「おい、起きろ」

シ――ンとした部屋に響く低い声。静かな苛立ちを含んだその声は普段なら周囲の人間を震え上がらせるのだが、今、目の前にいる奴にとってはそんなもの大したことではないようで。それが余計に苛立ちを膨らませる。

これ以上どう言っても起きる気がしなかった。腕組みをして未だにすやすやと眠り続けるその姿を呆然と見つめる。こいつの寝起きの悪さは知っていたが、まさかここまでとは。はぁーー……と深いため息をひとつ。腕組みを解き、強行手段に出ることに決めた。

バシンッ――

「ッた~~~!!」
「起きたかこら」
「はい?」
「起きたならとっとと家に帰れ。もう0時だ。子供は家で寝る時間だ」
「ちょっと、スモーカーさん! あなた殴りましたね! もう、いいやって顔してましたよ、さっき!」
「あぁ”?」
「それに私子供じゃないです! もう18歳です! 大人です!」
「知らねぇよ!」
「知ってて下さいよ。全く……」
「それより、時間見ろよ。今日は遅いから、帰れ」
「はぁ? 手伝えって言ったのスモーカーさんじゃないですか! 今日は本当なら、クザン大将のところで訓練あったんですよ!」
「知らねぇよ、そんなこと」
「うわ、ひっどい!」
「あぁ、もううるさい。いいから帰れ!」
「あ~、はいはい。帰りますよ。帰ればいいんでしょ! 大佐なんか知らない!!」

バタンッ――

一際大きな罵声が響いたあと、勢いよく扉が閉められた。

「……」

なんだよ。知らないって。別に何一つ間違ったことを言ったつもりはなかったっていうのに、罪悪感に苛まれる。なんで俺がこんな思いをしないとならねぇんだよ。ムッと唇を結びながらも体は自然と動いていた。遠慮なく叩きつけられた愛用の”正義”が刻まれた上着を羽織る。なまえの奴、上着ぐらい貸してやるんだから持って帰れよ。……あーー……もやもやする。酷く曖昧な感覚に息苦しさを感じた。

:
:

「もう!」

なまえは家の前に着くと玄関の前で立ち止まった。ゆっくりと振り向く。

「出てきて下さい!」

そのまま真っ暗な闇に向かって叫んだ後、数秒の間。視線を逸らすことなく、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳にはぁ、と息を吐き出す。これはもう完全にバレていると判断し、観念して姿を現して見せた。

「バカにしているのですか?」
「……」

ふん、と顔を背ける。すると、なまえは頬をムッと膨らませつつも玄関の扉を開けたまま中に入って行った。開かれたままの扉を見つめる。入れということか。その誘いにのるかどうか、一瞬迷った。無事に送り届けたのだからそんな必要はない。そう分かっていた。口に挟んだままになっていた葉巻を抜き取り息を吐き出す。そうして星空を仰いだ後、足を踏み出した。なまえの後に続いた。

「ねぇ、大佐?」
「なんだ」
「後ろから追跡するぐらいなら、送るって言って下さってもいいとは思いませんか?」
「……」
「思わないのですね」

中に入るとこちらを睨みつけているなまえが立っていた。その手には毛布が抱かれている。その問いは愚問だというように目を閉じて顔を背ける。ふん、と強く吐き出された鼻息。薄っすらと目を開けて盗み見たなまえは呆れたように左右に首を振っていた。

「ソファ、使って下さい。ついて来て下さったお礼に寝床を貸します」

乱暴に投げつけられた毛布が体に当たる。それが落ちる前に目を開いてなまえを見た。でももうそこになまえは立っておらず、遠くで閉まる扉の音だけが聞こえた。あーぁ、怒らせちまったか。すぐ後ろに置かれていたソファに深く腰を落とす。見回すと女の部屋らしく手入れの行き届いている様子に頬が緩んだ。あんな風に口答えする割には女らしいところもあるじゃねェか。部屋に充満するのはいつもすれ違うときに香っていたなまえの香りで、ソファの布地も、その上に置かれていたクッションもすべてがなまえの香りにつつまれていた。頭をクッションに落として毛布を被る。……まるでアイツに包まれてるみてェだな。ゆっくりと瞼を閉じるとあっという間に眠りにつくことができた。

:

早朝――

ちらちらと瞼の上を刺激する光。うっとおしくて目を開くと開きっぱなしだった窓から風が入り、カーテンがゆらゆらと揺れていた。そこから漏れてくる朝日が眩しくて目が細くなる。まったく無用心な奴だ。ゆっくりと体を起こす。まだぼんやりする頭を働かせて辺りを見回した。そこには人の気配がない。

「……まだ寝てるのか?」

時計を見て時間を確認する。もうそろそろ起きてもいい頃合だ。なまえはどうしているのだろうか。なまえの姿を探して、家の中を歩いた。リビングにキッチン、最後の部屋は寝室だった。どうやらまだ寝ているらしい。できるだけ音を立てないようにして半開きになっていた扉を開いて中に入った。ほんと無用心な奴だ。

そこにあるベッドにはぽっこりと膨らみがひとつ。どれどれ、と足を進め、覗き込む。なまえは気持ちよさそうに寝息を立てていた。こうして寝ているうちはまだ可愛げがあるんだがな。自然と頬が緩み、手が伸びていく。その手がなまえの頬に触れる直前で我に返った。俺は一体何をやってんだ。慌てて振り返り、なまえに背を向けた。

「大佐……」

その声に体が飛び跳ねる。こんなところを見られでもしたら何か良からぬ噂を流されるかもしれない。もしや起きたのか? 身構えて振り返る。でも、そこにいるなまえは未だに目を瞑ったままで、先ほどと何一つ変わらない状態だった。……寝言か、と胸を撫で下ろす。

「大佐……」

なまえはとても気持ちよさそうに微笑みながら俺のことを呼んだ。

「なんだ」
「大佐……」
「なんだ」

こんなに近くにいるのに、こいつはこんなにも無防備で。手を伸ばして長い髪をさらさらと指で梳いた。こうして触れても気づかない。今なら何をしても、と良からぬことが頭をよぎった。

「う、ん……」
「起きたか?」

なまえの目がうっすらと開いた……と思ったらすぐに閉じてしまった。さぁ起きろと優しく頭を撫でると、また目がうっすらと開いた。ようやく目を覚ましたなまえは体を起こし、眠そうに目を擦りながら言った。

「大佐……? なんでここにいるの?」
「さぁな」
「……夢? 夢、なのかな?」
「夢なのかもな」
「うん……」

納得したのか、コクリとうなづくなまえ。こいつ起きてない? 寝ぼけてるのか。…………ふぅん。面白れェ。しばらくからかってやろうじゃねぇか。にんまりと笑みを浮べてなまえを見た。

「ねぇ、大佐」
「なんだ」
「私ね、最近好きな人ができたんだよ」

予想外の言葉に目が見開く。「……誰だ?」と努めて平静に言ったつもりだったが、どうやらなまえにはそれがバレてしまったようだった。俺の反応に満足するように口元をにんまりと緩ませたなまえが得意げに言った。

「私ね、スモーカーさんが好き」

えへへ、と幸せそうに笑うなまえは言うだけ言ってまたうとうととうたた寝をし始める。こちらのことなどお構いなしだ。横になって、あっという間にスースーと気持ちよさそうな寝息を立て出した。

「…………おい、」

残された俺に一体どうしろって言うんだよ、なまえ。一人立ち尽くしたまま、俺は真っ赤になった顔を隠すようにして手の平で顔を覆った。そうでもしなければ恥ずかしさでおかしくなりそうだった。

なんだよ、この気持ちはッ――

常々感じていた感情がなまえの言葉をきっかけにして一気に溢れ出していく。何の前触れも、準備もなく、急に溢れ出した想いをどうすればいいのか分からなくてただなまえを見つめることしかできなかった。そうして、なまえとの思い出を思い出して、また想いが募っていった。

…………俺はなまえが好きなのか。

 

― なまえ視点 ―

 

「大佐、おはようございます」
「あ、あぁ」
「どうかしましたか?」
「いや……」
「スモーカーさんって呼んだ方がいいですか?」

からかうように言ったはずなのに、クスリと挑戦的な笑みを作ったのに。大佐はいつものように呆れたり、怒ったりしなかった。それどころか。

「え、どうしたんですか!?」

彼の顔は見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。

「よせ。寄るな」
「えぇ! 心配してるのに!」
「お前はもっと自覚を持て! 俺は家に帰る」
「え~。なんなんですか?」

「クッソ!」

「…………なんなのよ?」

押さえられない彼の気持ちがうまく届くかどうかはまた別のお話。

:

(Plan:Christmas)
141214 End.
150216 修正
160918 修正

Afterword

大佐いじめ隊!ww

スモーカーさんはすっごく不器用だと思います。でも馬鹿みたいに正直者です。だから一度気づいてしまった想いには誠実に答えるはず。自分に対しても正直者なんです。だから、いずれ彼は自分の気持ちを彼女に話すことでしょう。

言わずもがな、彼女もスモーカーさんのことが好きなので二人がくっつくのは時間の問題なのですが、どちらもそれなりに頑固なところがあるので、何かと些細なことで喧嘩をするかと思います。

そしてその度にお互いのことを知って歩み寄って行く。二人はそんなカップルになるかなぁなんて*^^)

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